マイヤ・プリセツカヤさんとシルヴィ・ギエムさんの引き際の美学

毎日新聞の「Shall・we・バレエ?」に「引き際の美学 「闘う白鳥」と「挑む白鳥」」というマイヤ・プリセツカヤさんとシルヴィ・ギエムさんについての記事が掲載されていますね。

 2015年、「20世紀を代表する」バレリーナが二人、相次いで表舞台から去った。一方のマイヤ・プリセツカヤは、89歳での大往生。旧ソ連時代に粛清で父を失いながら、不屈の闘志で頂点に上り詰めた。通称「闘う白鳥」。「腕が動く限りは踊り続ける」が口癖で、晩年まで舞台に立っていた。対照的なのが、他方のシルヴィ・ギエム、50歳。「自ら幕を引きたい」と、華あるうちの引退を決めた。

いつ、どんな形で舞台から退くか。あらゆるダンサーが直面する問題だ。病気や出産で心ならずも、という例も少なくない。ギエムは「けがなどの外的要因で『やめざるを得ない』状況に陥る前に、終止符を打ちたかった」と説明している。

花道は東京・渋谷のオーチャードホールだった。大みそか恒例の演奏会に特別出演し、新年へのカウントダウンとして十八番「ボレロ」(ベジャール版)を披露。「15年限りで引退」という予告を、これ以上ないほど劇的に実現させた。彼女は何よりも「自己演出の天才」だったのである。最後の姿は「解脱」とでも呼びたいような、すがすがしさに満ちていた。

少女時代は体操選手として五輪を目指しており、バレエを始めたのは12歳。パリ・オペラ座の付属学校長が熱心に勧誘したのだ。生徒の大半は物心もつかないうちに踊り始めるのに対し、身体の準備を整えてからバレエの体系を「頭で考えつつ」習得したことが、ギエムを唯一無二の存在たらしめたに違いない。弱冠19歳で「白鳥の湖」に主演し、最高位エトワール(仏語で「星」の意)に任命される。

このスターは舞台の外でも規格外だった。進化のためには妥協をしない。「道は自分で選ぶ」と、身分の保障されたオペラ座から英ロイヤル・バレエに移籍。上層部に唯々諾々と従うことはなく、「マドモアゼル・ノン」の異名を取った。観客の予想を超え続けた舞台の裏に、どれほどの葛藤があったことか。さしずめ「挑む白鳥」だった。

30年来の盟友で引退ツアーを共にした東京バレエ団の団員らに、ギエムは遺言のように繰り返したという。「常に考えて」「挑戦を恐れるな」−−。生涯現役を志向したプリセツカヤも見事だが、桜の散り際のようなギエムの潔さにも、改めて拍手を送りたい。かくてバレエ界は、二人の天才のいない新年を迎えたのである。

「二人の天才のいない新年」という言葉の重みがずっしり来ます。
マイヤ・プリセツカヤさんとシルヴィ・ギエムさんという天才のお二人のこれまでの活躍に感動と感謝の拍手を送りつつ、天才だけが感動的な舞台を作り出せるわけではないことを知っている私は今年も劇場を巡りたいと思います。

Shall・we・バレエ?:引き際の美学 「闘う白鳥」と「挑む白鳥」

Screenshot of mainichi.jp

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