知られざる職業 — ボリショイ劇場にいたサクラ

ロシアNOWに、1980年代末~1990年代にかけて劇場などで猛烈な拍手を送り、「ブラボー!」と叫んで、観客席を盛り上げる、いわゆる「サクラ」をやっていらした方のインタビュー記事「ボリショイ劇場にいたサクラ」が掲載されていますね。

-どうしてサクラになったのですか。

1980年代終わり、私はまだ学生でした。パソコンのない時代でしたから、別の楽しみを求めていたんです。劇場に夢中だったので、余分な観覧券を「おねだり」しようと、ボリショイ劇場周辺にいました。

すると中年男性が近づいてきて、「観たい?」と聞き、観覧券をくれました。そして一緒に歩きました。あそこは主にゲイのコミュニティでしたから、気に入られて、「ナンパ」されたんです。その人はサクラの一人でもありました。すぐに打ち解けました。

 私たちは客席の角部にわかれて座り、拍手すべきところで、例えば、バレリーナがフェッテをした時に、拍手を始めていました。そして、「ブラボー!」と叫んでいたのです。

覚えている限り、皆に拍手を送っていました。当時は、バレエ・プリマのナタリヤ・ベススメルトノワ、ニーナ・アナニアシヴィリがいました。あとは、数年前に強酸液で襲撃されたセルゲイ・フィーリン元芸術監督もまだ踊っていました。ブーイングをしたことはありませんでした。あれはすべて映画の中のできごとです。

-サクラの活動を主導したのは誰ですか。

どれも劇場の幹部が動かしていました。当時の主任振付師はユーリ・グリゴローヴィチで、無料観覧券も提供していました。私はこの活動を行っている時はまるで子供で、収入を得るよりも、魔法の世界に入るのを目当てにしていました。

 一人がこう話していたのを覚えています。「私がロシア・バレエを動かしているんだ!(ダンサーを)選りわけて、高めているんだ」と。思うに、単なる自慢にすぎませんが、スターを自分たちがつくっているんだという自負があったのでしょうね。

 ボリショイ劇場のバレエには10人ぐらいいました。3人は”常任”で、残りは私のような学生でした。誰もが劇場のスター全員と「君」と呼び合う仲で、アナニアシヴィリに「足はあんな風にのばさないほうがいい」、「立つ位置が違った」などと助言したり、逆に褒めたたえたりしていました。アナニアシヴィリは落ち着いて、友好的に受け取っていました。もしかしたら、ためになっていたのかもしれません。

これは非常に興味深い記事ですね。
劇場の幹部が「サクラ」たちを動かしていたとのことですが、いまはどうなっているのでしょう?
他の国や劇場についてもいろいろ知りたくなります。

ボリショイ劇場にいたサクラ | ロシアNOW

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