第29回高松宮殿下記念世界文化賞の演劇・映像部門をミハイル・バリシニコフさんが受賞

日本美術協会が世界の優れた芸術家に贈られる「第29回高松宮殿下記念世界文化賞」の受賞者を発表しました。
演劇・映像部門では、バレエ・ダンサー・振付家・俳優のミハイル・バリシニコフさんが選ばれたそうです。

 舞台では、人懐っこそうな顔立ちと小柄な体からはとても想像できないほどの気迫を漂わせ、抜群のリズム感とテクニックで高い評価を得た。クラシック・バレエと現代バレエに加え、演劇、映画、テレビでも観客を魅了してきた。
旧ソ連体制下のラトビアに生まれ育ち、父は厳格な軍人、母は仕立て屋の経理担当職員だった。舞台芸術に関心が高い母はバリシニコフをバレエ、オペラ、演劇によく連れて行き、気がつけば「いつか自分も舞台に立ちたい」と夢見ていた。
16歳のとき、世界最高峰とされるクラシック・バレエ名門校「ワガノワ・バレエ・アカデミー」(レニングラード)に入学し、名教師、アレクサンドル・プーシキンの薫陶を受ける。「学校を卒業したら自分が自分の先生でなければならないし、若い舞踊家にとって最も厳しい批評家は自分自身であるべきだ」との教えは、その後の生き方を方向づけた。
その後、旧ソ連随一の格式を誇るバレエ団「キーロフ・バレエ」(現マリインスキー・バレエ)のトップダンサーに上り詰める。ところが1974年、カナダで公演中の26歳のスターは、厳しい監視の目をすり抜けて冷戦下の米国へ亡命した。
「クラシック・バレエのダンサーの寿命は長くても20年。芸術的情熱を充分に発揮できるところで働きたかった」
米国ではニューヨークの名門「アメリカン・バレエ・シアター」(ABT)に入団する一方、映画俳優にも挑戦。プレイボーイの天才バレエダンサー役を軽やかに演じた『愛と喝采の日々』(1977)に出演し、アカデミー、ゴールデングローブ両賞で助演男優賞にノミネートされた。
1960年代末から何回も来日、「能、歌舞伎を観て、翻訳された日本の本を読んで、私は成長した気がします」と語る。1998年に坂東玉三郎との共演も実現させた。
2005年には「バリシニコフ・アーツ・センター」をニューヨークに設立し、若手芸術家の育成にも尽力している。
最近では、一人芝居『ブロツキー/バリシニコフ』、『ある男への手紙』で賞賛を浴びた。69歳の今も、新しい芸術形態へのチャレンジを続けることについて、「自分に向いた題材だと100%の確信がなくとも、いつもトライしています。自分自身の恐怖に打ち勝ちたい。これが人生です」。
今年4月、ラトビア政府から市民権を贈られた。昨年の音楽部門受賞者、ギドン・クレーメルとはラトビアでクラスメートだったという。

おめでとうございます!
2017年10月17・18日の受賞者会見と式典に来日予定という話を耳にしましたがどうなんでしょう?

個人的には『ドン・キホーテ』のバジル役は、ミハイル・バリシニコフさんを越える人はいないし、これからも出てこないんじゃないかと思っています。



高松宮殿下記念世界文化賞

高松宮殿下記念世界文化賞

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